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森沢のり子の日記







Date:2010.4.1
Title:フードカメラマン

どうしましょう? どうしましょう?
熱血応援団に、なんとフードカメラマンというくくりで、紹介されてしまいました。
全国的に、カメラマンといってしまったのですから、私的には、本当にならなくてはなりません。そういう人なのです・・・わたしは。
私の父は、少年の頃カメラマンになるのが夢で、カメラ雑誌に投稿をずっとしていました。家には、手作りの暗室もありました。
でも、女ばかりの兄弟で、末っ子の長男であった彼は、プロになるのをあきらめて、家の跡をとりました。
でも、ずっとずっととり続けていましたが(土手の上で籐の乳母車にやっと立ったばかり私が、逆光でまるで絵のようなセピアの写真がありがたいことに、残っています)たぶん、その頃のカメラです。もしも、直るなら、メンテナンスをして、6×6のフィルムでしょうが、撮ってみようと、あの取材の後、思うようになりました。

39歳のときに・・・。
私が、39歳のときに、父が癌になりました。
もう、自分はだめだと、勝手に覚悟をして、あとかたづけなどをはじめてしまった父に、母と、私は、夢を持って貰おう、生きる希望を持って貰おうと、何がいいか、考え、試行錯誤した挙句に出てきたのが写真でした。
私が、仕事をする上で、習いたいので、父に一緒に行って欲しいと頼みました。
18歳のときに上京して以来、父と毎週会って、何かを一緒にするなんて、まったくありませんでした。
楽しかったです。
カルチャーセンターですが、毎回ポジを5枚持って行って、大きな画面に映して、先生が批評をしてくださるのです。
報道カメラマンだった先生は、ノートリミングで、瞬時にシャッターチャンスを狙い、自分が伝えたいものにちゃんとピントが合っているか,そのときの光は、何処から当たっているか。とても厳しい方でした。父も私ものめり込み、毎日カメラを持って、いろいろなところを歩きました。そしていつも一緒にお茶を飲み、たまにはお酒も飲んで・・・。父は、地元の県展で賞を何度かもらったり、何年続いたでしょうか。癌は手術をして、すっかり良くなり、なんと88歳まで、写真を撮り続け、亡くなりました。
私はというと、忙しかった仕事を言い訳に、スクールは3年でやめてしまいましたが、今、ホームページの写真や、テスト撮影のときに、教えていただいたことが、役に立っています。それにあれ以来、以前よりずっと綺麗なものが見えるようになったと思いますし、ずっと好きです。
左側のカメラが、フィルムのカメラで、右の二つがデジタルです。
この他にも、父が残してくれたニコンのボディ、リコーのG7(?)沢山のレンズ、三脚、一脚フィルムのものですが、いろいろ遊んでみたいと思っています。
39歳のときに・・・。

買いました。 買いました。
お仕事で、カメラマンの蓮井さんとご一緒させていただいたときに、料理を撮るのなら、このカメラが良いと、教えてくださったのが、このシグマDP2というカメラです。
とても難しいカメラなのですが、今がんばって毎日持ち歩き、テストを繰り返しています。いつか、本当にフードカメラマンと名乗れるように・・・。

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